病み上がりの奴なはずなのに、そいつと仕事をした翌日から体調不良が始まった現実を目の当たりにして、しかしながらこのままでは寝たきりになってしまう、 と、コンビニでインスタントの蕎麦を買い、内服液的な飲み物も飲み、早く寝ようと頑張って4時か5時には寝たというのに、何故か午前中に起床。結局今日も 仕事であるという何ともならない緊張感がこんな事態を引き起こしたのだろうな。
くしゃみと咳を同時にした時だけは何故か気持ちよく。それはもう他のナニモノにも例え難い感覚で。いっそこれから咳が出そうな時はくしゃみを、くしゃみが 出そうな時は席をセットにしてはくれないものだろうか。
とはいえ、ナニモノにも例え難い感覚というものを他人に説明するというのは何とも難しく。一番良いのはやってみなよ、くらいなもので。しかしそれがなかな か出来ないものだから、熱いからというのにガキんちょろはストーブの上に手を置き、向こう側への無謀な憧れのみで人はクスリに走るのだろう。
映画「ヘドウィグアンドアングリーインチ」でのワンシーンで、壁の東側から見た西の空に、大手ハンバーガーショップのマークの頭だけがニョキと出ている画 を描いたシーンがあって、俺はそれを見る度、向こう側についての事を考える。
今俺の五感で味わえる全ての感覚は、きっと世の中の誰もが感じる事の出来る感覚なのであろうが、アバウトながらよく使われている第六感、シックスセンス的 なもの。他人を見る時、俺は顔立ちやスタイルで見るのではなく、その人が放つオーラみたいなものでその人を見て感じている様で。
「イタい人の話しそうな話だな」と、自分でも書いていて思ってしまうない様ではあるが、こればっかりはどう説明して良いものか、本当の話で。オーラが見え ている訳ではない、そんなもんはまったく見えない。むしろ見えてもいない霊に怯えるくらいの小心者なのだから。何と言うか、その人と目を合わせてみて、話 す機会があったなら話もしてみて、そうしているうちにその人からは何だかよく分からない温度の何かが俺に伝わって来て。
「あぁ、この人はこんな感じの人なのかな」
なんて思う訳で。とはいえ何も感じない人もいるし、感じたからどうという訳でもないのだけど、俺が人を好きになる基準の一つにはオーラというものが必要不 可欠だったりもして。
何の役にも立たない、人に説明する事も出来ない、そんな感覚、誰もがきっと持っているんだろうな。
そういえばいつだったか友達と一緒に電車に乗っていた時の話。窓から見た景色で、電信棒をつたう少したるんだ電線を見ていると、何だか波を打っている様な 気持ちになってついつい目で追い続けたくなってしまうのだ、なんて事を友達に言ったら、「俺もだよ」なんて返事が返って来て。これは俺しか楽しむ事が出来 ないのか、と思っていただけに、その後の会話は当然「俺だけじゃないのか?こんな事をしてしまう自分がいる瞬間、楽しんでしまっている瞬間」になり。
世界は広いのか狭いのか、頭の中は狭いのか広いのか。
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