辿り着く先は一体 何処になるのか
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 言葉というものは実に曖昧で、きっと誰もが伝えたい事をそのまま伝えられないまま、それがまた曖昧になってしまったまま、毎日が進んでいるということにな るのでしょう。 誰に対しても、ほんの少しの良いところを見つけてはそれだけを見て、その人に「好きです」なんて言えてしまう人が、後にも先にも人生で一度しか心を開いた 事のない人に向かってその言葉を使った時、果たしてどんな事になってしまうんだろう。 「いや、今のはそんな深い意味で使ったんじゃなくて」 「いや、今のはそんな適当な意味で使ったんじゃなくて」 そんな会話があればまだしも、何もなくお互いがお互いの言葉を違えたまま贈り、受け止め、そんな無茶苦茶なまま毎日は過ぎて。 同時に受け手も同じく。人に「好き」なんて言われた事のない人と、今まで一度も告白なんてした事ないよ、だってみんな告白してくるんだもん、みたいな人 と、そんな2人が同じ人に同じ言葉を投げかけられたら、2人の反応は確実に違う訳で。 結局言葉云々よりも結果がものを言うはずなのに、成功は結果ではなく過程で見るものであっても良いのに、そこまで思っていても、ついさっき頭に浮かんで出 てきたたった一言の言葉に、人は一喜一憂し。 かく言う俺も、精一杯想いを込めて叩いているのはキーボード。そこら辺のがきんちょろが適当に叩いて作られた「好き」も、俺が心を込めて叩いた「好き」 も、よに出回る時は同じ形。寸分違わぬ角度で作られたトメ、ハネ、ハライは今回も忠実にそれを守り。 昔々神様ってのが、何か悪い事をしたからなのか、人間をあちこちに飛ばして使える言葉も伝わらない様に変え、だから今の世界があるのだ、なんて話を聞いた 様な聞いてない様な。それでも人は国をまたぎ海をまたぎ、今では相手の言っている事が何なのかくらいまでは理解出来る様になっているみたいで。 人間って不思議な生き物だ。結局通じ合っていても伝わらない事ばかりの世の中だというのに。 PR
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