辿り着く先は一体 何処になるのか
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残すところあと2日。泣いても笑っても本番はやってくる訳で。人様の曲を拝借して自分勝手に目立った気になり、自己満足に終わるライブなんてものならこれ まで幾度となくやって来て。その分緊張する事もあったりする訳だけども、結局は他人の曲、崇められるのは俺じゃなくて作曲者だったりするのである。
それに引き換え今回は俺の頭の中で作られた曲ばかり。…とはいえそれも産まれてから今までに聞いて来た曲のどこかに似ているに違いなく、結局は既存の何か にすがりながら日々過ごしていかねばならないということにもなる訳で。 しかしながら俺が唯一武器として持っているのは俺そのもの。声でありキャラクターであり、それだけは誰にも真似する事は出来ない。実際物真似上手な人もい る訳だけれども、俺だけは俺。誰にも本物にはなれない、俺だけのもの。 生きていくにあたって何が必要なのかと言われれば、お金だったり伴侶だったり、人によっては「そんなものはいらない」なんて事にもなってくるから一概には 言えなかったりもするのだけど、結局は自分を支える「軸」みたいなものがあれば良いのかな、なんてことを思ったりする。それが恋人なら恋人で、それがお金 ならお金で。「金なんかいらないよ」「彼女なんていらないよ」的な発言はもはやその後についてくる話、そんなセリフを言える人というのはもう何か自分の 「軸」となるものを持っているから言えるのではないだろうかと。 俺はそんな「軸」になるものを手に入れたいなと。それが恋人なのか伴侶なのか、お金なのか名声なのか、実際何かを手に入れてみて「これだ」と思わなければ いけなかったりもするのだろうけれども、とにかくそんな「軸」を求めて彷徨う日々。 「人」という字は人間と人間が支え合っている画をイメージしている、なんて話、そこら中で説教される時に使われるセリフではあるけれども、果たして人と人 でなければいけなかったのだろうか、なんて。2画目は物でも夢に向かっている気持ちでも良かったりなどしないのだろうか。実際それで人が一人成立するのな ら、それはそれで現実な訳で。 …とはいえこれは「人」という字についての定義が上記ならばの話。もはやパンクしてしまった俺の頭の中を埋め尽くすのはこんなどうでも良い話ばかり。早く もとに戻んないかな。 PR
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