初めて自分の作った歌に想いを込められたのは、いつか話したかも知れない、おばさんが亡くなった時に作った歌。その次は仕事先で世話になった先輩が辞め るってんで、その人の為に作った歌。魂を込めて歌を歌いたい、それは最終的に自己満足で終わってしまうのかも知れないのだけれども、魂を込めて歌う歌に魂 がこもっていれば、それはとてつもない力を備えている訳で。事実は小説より奇なり。リアルを求めていないはずの歌の世界にリアルを込めるのは何とも矛盾し ている話なのだけれども、歌う俺からしてみれば何とも正しい考え方だったりもして。
歳をとったからじゃなく、どうやら俺は感動屋らしい。男だからなのか、男が泣くって言う場面に滅法弱い。
「男は見栄だ」
草太の兄さんはそう言ってたけど、本当にそう思う。半分は入れ込まれた知識、洗脳されてしまった俺がいる訳なんだけど、悔しくて、悲しくて、そんな時に目 からこぼれる涙というのは何物にも代えられない輝きと、どうする事も出来ない想いを伝え。
言葉は大切、俺の言う「ばーか」1つで誰かが死んでしまうかも知れないくらいに、送り手と受け手に於ける言葉の定義というのは違うらしいけれども、残念な がら俺は俺でこうやってここまで生きてしまった。俺の精一杯の愛情表現が人を不幸にしてしまうのは何とも悲しい。俺の想いなど誰にも伝わりはしない。俺の 言葉も、動作も、けっきょくは受け手の基準で変換され、「馬鹿タレ」は「ばかたれ」に、「好きだよ」は「スキダヨ」になってしまうのだ。
それだから人生は面白い。人間は奥が深い。ローマまでの道のりなど出さずとも、隣にいる人までの距離ですら、一日にしてならない気がする。
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