辿り着く先は一体 何処になるのか
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「臆病」という単語は、本来「ちょっとした事も恐れる」的な意味合いでもって使われているらしい。
「臆病風に吹かれる」なんて言い方もあったっけ。「臆する事なく…」なんていう使い方もあったかな。 そうなったとして、臆してしまう病気が「臆病」って事になる訳なのだろう。つまりは病気な訳で。不治なのか否か、治療法って一体どういった具合なのか。問 題は大きくなっていくばかり。 これから始まろうとしている事、やろうとしている事に臆病になってしまってばかりで、今既に起こっている事に目がいかないというのは何とも問題で。有名歌 手になりたいんだけど、オーディションを受けなきゃならないし練習もしなきゃならないし、周りでそんな事している人もいないから目は冷たいだろうし…。臆 病な話であります。 しかし、だからといってこのままアルバイトだけ続けて40歳になってしまったとしたら、生活の基盤はしっかりしていない、定職に就いていないから誰とも結 婚出来ない、そのうち仕事先からも追い出されるか、そうじゃなきゃやりたくもない仕事をこのまま続けて、そしてそのまま死ぬ事になるのです。そっちの方が 恐ろしい話だったりもして。 恐れるなら後者、臆病になるなら後者でなければならないはずなのに、気づけば今日もふらふらと目先の出来事だけを消化してまた一日が終わり。何とも皮肉な 人生ですこと。 そんな事を考えてはまた臆病風に吹かれ、「臆病風に吹かれてしまわないだろうか?」と、臆病風に吹かれ、吹かれて吹かれてそのまま飛ばされてしまいました とさ。 PR
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