初めて身内が亡くなったのはいつだったか、名古屋で好き放題していた時の事だったと思う。
両親のどっちからだったか、あの頃は親父ともそんなに仲良くなかったし、母親からだったかも知れない。突然連絡が入って俺は父方の実家まで電車を乗り継 ぎ。
着いた先では何とも言えない光景。まるで生きているんじゃないかってくらいに美しいままのおばさんと、それを囲んで涙する婆ちゃん、黙って小さい目を開け ているんだか閉じているんだか、それがルーツなんだよ、爺ちゃん。
通夜が終わって告別式が終わって、間もなくおばさんは灰になってしまった。
四角い箱の中でおばさんは、白くなって細くなって、頭の角っちょだけ残って崩されていないままの真っ白には、ほんのりとしっかりと赤い色が残っていて。
その帰り道、金なんてない俺は独り名古屋まで鈍行に乗って帰宅。その帰りの電車の中で、俺は初めて人の死についてペンを執り、そうしてメロディに乗せ、高 らかと唄ったんだ。
豊田ミュージックバトル、YMF、それからどこだったっけ、いくつものコンテストでそれは活躍し、それでもテクニックのない俺から出される非力な音は、想 いとは裏腹にことごとくことごとく。
それでも中京テレビのおっさん審査員は、俺のギターの持ち方を「ペイジみたいで良い!」なんて書いたアドバイスシートをくれたっけ。
あれからどれだけ経ったろう。
今一度。
今一度。
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