辿り着く先は一体 何処になるのか
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享年94歳。
生き過ぎです、生き過ぎ。 戦中戦後を経験したじいちゃん、毎夏田舎へ帰ると聞けるのはその頃の話。TVの向こう側でその当時の映像が流れている中、俺は家族や親戚とともにじいちゃ んを囲み、あぁでもないこうでもないという話をしながら、当時の話を聞く為に耳を傾ける。 戦争が終わり退却中だったか、じいちゃんの乗った馬目掛けて銃弾が飛んできたらしい。銃弾は馬を貫きじいちゃんを貫き、お陰でじいちゃんの腹にはへそが2 つ。小さい頃、興味本位で第二のへそに指を突っ込んでみた事があったっけ。いやいや普通のへそじゃない、これ。いいなぁ、じいちゃん。2つもへそ持って て。なんか得じゃん、じいちゃん。 名古屋からは、それでもまだまだ距離はあるけれど、ここから行くよりは3、4時間近く。それなのに自ら足を運んだのは一度だけ。山口県に住む小学生の時の 友達に会いに行く途中で立ち寄った思い出。 「葡萄のなる木の枝を巻き付けるため」 俺はじいちゃん家の前の畑につれてかれて、2日かけて支えを作り。そうして出来上がった大きな葡萄は種が入った混じりっけなしの天然物。今でも思い出すあ の酸っぱい葡萄。冷凍庫で冷やして食べようと、冷凍庫から取り出して思いっきり噛んだら種に負けて歯がグラついたあの酸っぱい葡萄。 生きた時代も違えば生き方の感覚だって違う。 じいちゃんの子供は4人、その子供達の子供は10人、その子供達の子供はもう分かんない、6人くらい。それだけだってもうとんでもない数なのに、子供達に は結婚相手がいて、気づけば膨れ上がり膨れ上がり。 そんなじいちゃんから出た分かれに分かれた枝分かれっぷり。そんなとんでもない枝を、あの日の畑で支えを作ったのは俺なのだ。 じっとじいちゃんの顔を見ていたら、もしかしたらちょっとくらい動くんじゃないか、なんて思って、通夜の終わった夜中に独り、ずっとじいちゃんの顔を見て たんだけどね。やっぱり動かなかったね、じいちゃん。 でもねじいちゃん、俺は小さい頃からずっと「目が小さい」「目が小さい」って言われ続けてて、「親父に文句を言ってくれ」って俺は言ってたんだけど、親父 のあの切り傷みたいな目はじいちゃん譲りだったんだよね。親父に文句言う前にじいちゃんに言うべきだったんだな。だって、じっと見てた時だって開いてるの か開いてないのか分かんないくらいなんだもん、じいちゃん。 じいちゃんと俺が同じ時代に生まれてなくて良かったよ。絶対にぶん殴られてたよ、俺きっと。へそ曲りでヘナヘナだしね。あんなに人望の厚い人間なんかじゃ ないし、戦争で敵を迎え撃つ前に俺を討ってたろうよ、じいちゃんなら。 天国から見守ってくれるとかどうとか、心の中にいるってのも知ってるけど、それでもやっぱりじいちゃんがいなくなって、俺は寂しいです。末っ子親父の長男 で、じいちゃんからしてみたら孫の一人に過ぎなかったかも知れないけれど、俺にはブレる事のないじいちゃんだったよ。 次に俺がじいちゃんに会えるのって、一体いつになるんだろうね。楽しみの様な楽しみではない様な。 ま、それまで元気にしててね。…なんて、言われるのは俺の方なんだけど。それでも俺が元気いっぱいだったら当分じいちゃんには会いに行けないし、かといっ て元気じゃなきゃ会いに行けるけど果たしてそれで良いのか、なんて話。ごちゃごちゃするからもういいや。 いつまでも元気でね、じいちゃん。 PR
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