去る8月7日夜22時40分、新宿発兵庫行夜行バスが出発。なかなかのハードな日々の中、最愛の弟と何とか日程を合わせ、老い先そう長くはないんじゃない かっていう父方の実家へと、そんな事とはつゆ知らぬバスの運転手は、車内アナウンスもろくに喋れないカミカミのままバスを走らせる。
実際東京〜姫路間なんてのはそんなに近いものではなく、深夜の高速道路をかっ飛ばしても到着予定は朝の7時過ぎ予定。ましてこれだけ事故の多くなった時代 に、大量の人間の命を預かった運転手が、案内一つ噛んでしまうへなちょこ運転手が、実際それほどスピードを出すとも思えず、つまりは8時間もの間、狭いバ スの中で同じ格好をしたまま耐え続けなければならない現実と戦わなければならない訳で。
寝ようにも寝られないくらいにまで狭く出来上がった、決して長距離向けの仕様ではないそれに無理から押し込められた兄弟2人、平均身長180cm、事故云 々の前に狭さで死ぬんじゃないかってくらいの恐怖を覚えながら、それでも必死にその恐怖から逃げようと、ただひたすらに近況を報告し続け、やがて車内の電 気は「仮眠」の為に消され、それでも兄弟はひそひそと話し続け、それでもなかなか時間の経たない現実に、心も折れ、体も折れながら、疲れの溜まっていく浅 い浅い眠りへと引き込まれていく。
3時間毎に用意された休憩時間はもはや我々の為なんかではなく、運転手の為に用意されたものなのだ。そう気づいている乗客はあの中にどれくらいいたのだろ う。我が物顔に周りを気にせずシートを倒してくる阿呆ぅな客、わざわざ暗くしたのに携帯電話をぴっかぴかに光らせながら、何かをチェックするだけならまだ しも、それをネタに隣の奴と話を始めてしまう阿呆ぅな客、かと思いきや何も気にせずにいびきをかきながらスピスピと寝ている阿呆ぅな客、いや、この人は別 に阿呆ぅじゃない。とにもかくにもこれだけ沢山の種類を目の当たりにして、世の中自由なのは素晴らしい事なんだな、なんて前向きに考えながら、それでも周 りを気にしながらちょっとだけ失礼をしてひそひそと弟と言葉を交わし。
何年かぶりに降り立った兵庫駅の朝は何とも清々しく、父方の実家へは何度も足を運んでいるのだが、いつもは父の車で直接家へと向かっている為、兵庫駅に降 りるのは、独り西日本の旅をした18の時以来、もはや10年近くも前の話になっており。
その当時の記憶ももはや鮮明には覚えていなかったのだが、何だか通ったな、なんていう記憶を体が感じたりなんかもして、ひとまずは充電の切れていた携帯電 話に命の息吹を吹き込む為、工事中になっているトイレへと足を運び。
無事に復活した携帯電話を片手に、先に到着している両親とおちあう場所の確認の電話。目の前には公衆電話。手帳の一つでも持っていれば、いや、祖父の家の 電話番号くらい今でも覚えているのだ、わざわざ良くない事をしてまで携帯電話を復活させなくとも、公衆の電話で連絡を取り合えば済む話だったのに。ずいぶ んと携帯電話に頼って生きる人間になってしまったものだ。実際充電がなくなってしまっていて、携帯しているだけで電話でもなんでもないおもちゃになってし まっていたと言うのに。
姫路駅からは、姫新線なる電車に乗車。2両編成の「ディーゼル車」とでも言うのであろうか、昔々に八高線なる電車に乗って、遠くの同級生の家に遊びに行っ た時以来の衝撃。上に走っている電線はひょっとしてドアの為だけにあるのか?何とも贅沢な電車に出会ってしまったものだ。
片道40分のローカル線の旅。40分も経っていると、決して思わせてくれない絶景に次ぐ絶景を見せつけられながら、みるみる圏外になっていく自分の携帯電 話を見ながら愕然とし、目の前で起きている現実と、それにショックを受けている自分の情けなさにまたショックを受け、気づけばもう終点、合流地点に到着す る訳で。
楽しかったんだか辛かったんだか、最高の旅をありがとう。
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