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辿り着く先は一体 何処になるのか

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  • 今宵はどこへ行こうかしら…
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    img_9748_26143113_0.jpg
    一つだけ願いが叶うとしたら、あなたは何を願いますか。

    今も昔も変わらない、俺の答えは「何でも願いの叶えられる力を僕につけて下さい」なのですが。

    昔読んだ「3つの願い」的な本では確か、どこかの婆さんがウィンナーを食べたいと言ってウィンナーが出て来て1つ目、腹を立てた爺さんが「鼻についてしま え!」といったところで2つ目、そのウィンナーが取れず、取ってもらって3つ目。そんな楽しくも儚い本があったのを思い出し。

    我が家は今の勤務地からほど近い所にあり。というか住む所は駅から近いのが良かったのと、働く所も近い方が良いと思ったということで、当然の結果ではある のだけれども。しかしながらその結果何が起きたかというと、仕事仲間の溜まり場になってしまったということ。楽しい毎日が繰り広げられるということで決し て嫌ではないのだけど、人生何かを得ると何かを失うのが常なのでありましょうか、プライベートな時間というものを作れなくなってしまっている現実だったり もして。何とも難しい限りであります。

    しかも何がって、夜中だというのにやかましい。訳あって以前は同じマンションの2階に住んでいたのだけれども、それから今に至るまで、大家に怒られる事数 知れず。いい加減追い出されてしまう前にこの事態を何とかしないといけない訳ではありますが、引っ越したらこんな楽しい事も出来なくなってしまう訳で、今 は少しだけ我が儘を通させてもらおうかなぁなんて、大人げない発言は撤回、静かにします。

    となると俺のさしあたっての願いといえば「防音効果のある部屋にしてください」くらいのものなのかも知れない。小さな人間になってしまったものだ。
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    img_9748_26085797_0.jpgその昔は携帯電話なんていうものが嫌いで、何故すぐに居場所を知られなくてはいけないのだ?と、一人ブツブツ言っていた訳ではありますが。

    同じ携帯電話会社でないとメールのやり取りも出来なかった頃から、今ではもはや携帯電話はただのツールに過ぎないところまでになり、持っていて当たり前、 どのような使い方をしているかが重要、みたいなところで。持っていなくても良いのかも知れないくらい。時代とは時に恐ろしく。

    今更だろうと言われてしまう時代だからこそ、誰かとお揃いの携帯電話にしてみたい、色も型も全部一緒で。彼女などと一緒にしたなら、使い方を知っている訳 だから内緒なんかなくなってしまう訳で、今何をしているかもバレてしまう可能性だってある訳で、だいたいにして他人とカブる訳で。

    しかしながら、もはや携帯電話を選ぶ理由がなくなってしまったくらいに庶民化され、別に何を使っていようとも連絡は出来るし、メールだって出来るし、他社 だろうと割引だって出来るし、それだけ曖昧な感じになってしまったからこそ、あのときなかなか出来なかった「誰かと一緒」なんていう、そんな面倒臭い事い ちいちやってられないよ的な事をしてみたいな、なんて風に思ったりもする訳です。

    img_9748_26016030_0.jpg
    良い歌は、何度聞いても感動し、思い出して泣いたり笑ったり。回数聞いたからといって感動が薄れていく事もないと思うところで。
    面白い漫才は、確かに面白くて笑うのだけれども、2回3回と見るうちに段々薄れていく。薄れていく、という言い方は何だか違う表現なのだけれども、初めて 聞いた時の大爆笑がそこにはなくなり。
    歌も漫才も、改めて見聞きした時に訪れる新発見はあるのだけれども、何だかほんの少しだけ「見たわ」的な気持ちが宿る事だけは避けられず。

    聞いた話、小さい頃同じ本を何度も何度も読んでもらいたがる気持ち、心境というのは、安心して聞きたいからだったか何だったか、「知っていたい」という気 持ちが子供サイドに植えついているからだそうで。となると、面白い漫才のネタは子供に永遠に効果抜群ということになっていく訳なのだけれども。
    では果たしてここはどうなのだ、と。毎日毎日同じ事ばかり書いていては飽きられてしまうのだろうか。とても気に入った内容だったとして、何日か後にまた同 じ記事を読み返したりする事ってあるのだろうか。俺にはそういった感覚がないので気になる話ではある。
    とはいえ、小さい頃に感じていた「同じ本を何度も読んでもらいたい」的衝動がなくなってしまうという事は、子供ではなくなっていくという事になってしまう のであろうか。何だかそれも切ない話。

    「いつまでも子供の頃の心を忘れないでいたい」

    なんて言っている奴が、実は小さい頃読んだ本をたまたま読み返して、まるっきり心が動かなかったオチを持っていたりするのもまた面白いのだけど。
    でも、そうやって考えていくと、俺が今改めて聞き直す感動する曲も、実は最初の感動っていうものとは違うのかも知れないのか。感じた事がなかった。

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