薄っぺらい靴ばかりはいているので、砂利道なんかを歩いていると裏側からゴツゴツと石が当たり、青竹踏みよろしく健康にも良いのではないか、なんて考えて いたのだけれど、結果靴の裏側がボロボロになってしまっただけで、何にも良い事がなかった。一石二鳥だ、なんて言葉をよく聞くけれど、なかなかそんな場面 には出くわせなかったりもして。
例えば冬の乾燥した部屋に洗濯物を干してみれば、湿気も増えて乾燥しなくなり、洗濯物も乾いて一石二鳥だ、なんて。結果、煙草の匂いなのか生乾きの匂いな のか、とんでもない仕上がりになってしまった洗濯物を今一度洗濯機の中に放り込んでいる現実。
例えば自転車をこいでいるだけの時間にメールでも打てば、相手に状況を伝えながら自分の作業も止まらずにやれるし一石二鳥だ、なんて。結果、車に跳ねられ て警察に止められて、とんでもなく時間を無駄に使ってしまっている現実。
それこそ急がば回れな展開。昔の人はよく言ったものだ。急いでるなら遠回りをしろだなんて。それだけ人生慎重ならば、今の俺の人生はもっと平和に滞りなく 過ぎていった事でありましょう。昔の人達の残した言葉にとても尊敬の気持ちを覚えるのに、現実その通りにしていない俺はただの天の邪鬼なのか、さもなくば ただの馬鹿たれなのか、後者であってもらいたいものだ。
仕事先や仲間と一緒にいる時などに「優しい人だ」「気の利く人だ」なんて言葉をかけてもらった事が幾度かあるのだけれども、それは実際そんな幸せな話では なくて、最終的には自分が得をするのかしないのか、それを基準に動いていたりする何とも小賢しい自分がいるというのも現実。
例えば仕事先の仕事内容について意見をする。他の仕事仲間は「こっちの方が楽だ」「そんなに自分で背負ってしまって大丈夫ですか」色々な意見が飛び交う。 しかしながら長い目で見れば、後々俺はとんでもなく楽が出来る様になるはずなので、その為に今は少々面倒臭い事であってもやってやろうか、なんて気持ちに もなり。それは例えば、自分に与えられた仕事をやりながらも使い物にならない新人さんにつきっきりで仕事を教える事であったり、帰れば良い時間だというの に無駄に仕事を覚えてみたり。
そうやってそうやって、効率的に生きてみたつもりが、今は何ともどん詰まり。もっと自分勝手に行き当たりばったりに生きてみようか。出来レースな人生を現 実目の当たりにし、「ほらね」と陰でニヤニヤしているだけのちっぽけな人生は少し後で、もう少し諦めてからでも充分通じるだろうし。
…と、時々己の分析をしてみるという行為がたまらなく楽しい。他人から見ればまるで違う俺像が浮かび上がってくるのだろうけども。それはそれでまた面白 い。何とも不思議な世界。