俺は小さい頃から親父の説教がとても嫌いで、とても好きだった。
何について説教するにも親父の話には何だか筋が通っていて、はっきり言って反論の余地がなく。たとえわずかな隙間を見つけて反論をしようにも、たちまちそ れをまた反論され。
そんな親父が俺に考えを聞く。ここまで言われてお前は一体どう思っているのか。答えは1つ、「おっしゃる通り、返す言葉もございません」それしかないので ある。
それでもへそ曲がりな俺はそれをそのまま言うことにとても屈辱感を覚え、それだけは言ってはなるまいと、俺なりに考えた答えを、しっかりとした文章でもっ て親父にぶつけてやらないと、と、考えれば考える程俺の頭の中は宇宙の様に広がっていき、やがて俺は一体何を考えていたのか、何について怒られていたの か、そんな事すら分からなくなってしまい、気づけば何分も何時間もその場で黙りこくってしまう始末。やっとのことで出した答えも、決して立派なものとは言 えず、俺はいつだって親父の説教がとても嫌いだった。
あれはいつからだったろうか、「一人暮らしを始めると親は子を人として見る様になる」なんていう話をどっかで聞いた事があるのだけれど、例外なく我が家も 少しはそうなったのか、少しは俺も人になれたのか、何度か親父は俺に人生的な話をしてくれ。
どんな人生だったのか、未だに多くの謎に包まれたままの親父ではあるのだけれども、そんな親父が俺に話してくれる人生についての話は何とも俺の心の中に スッと入っていき。元々親父の話し方が上手いのか、理屈まみれな親父の話を小さい頃からひたすらに聞いて来た俺だから理解出来たのか、そんな話をしてくれ た日の夜はいつもよりも空気が美味く、明日から頑張ってみるかな、なんて気持ちで一杯になったもので。
ただ仕事をする為だけに起き、自分のゴールも段々かすれていき、でもこのまま淡々と死んでいくだけの人生にはしたくないと思い、それでは何をすれば良いの か、答えを頭の中だけでシュミレィトしているだけの日々。
そんな自分がいるな、と気づくたび、頭の中に浮かぶのは楽しく話をしている俺の顔と、それを聞いてくれている親父の顔。
また話を聞いてもらいにいこうかな。また、話をしてくれるといいな。
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