辿り着く先は一体 何処になるのか
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
こんな日には「師走」辺りで検索したら山の様にヒットしてしまう事でしょう。 だって今日から12月。世間はこぞって後ひと月になってしまった2007を思い返し思い返し。 除夜の鐘を聞きながら一年の終わりをひしと感じ、かと思えば新年のカウントダウンでお祭り騒ぎ。わびもさびもあったもんじゃない。まさに日本人、多神教と 言うべきか無信教と言うべきか、そんな俺も日本人、何かにこだわり続けて頑なに「これはしない」と意地を張る事の方が非日本人的行動なのかも知れない。と はいえそれもそんな環境があればこその行動、突き詰めていけば結局は何でもないことだったりもして。 窓越しに見る冬の空は何だか爽やかでほんのり暖かそうだというのに、いざ外に出ると物凄い寒さに見舞われ。暖色なコーディネィト、世間には暖かく映るのか も知れないが、胸元をはだけさせていては本人一切暖かくなく。カッターシャツははだけさせてナンボ、独りの人間の無駄なこだわりもまた、ただの意地っ張 り。 師も走る程の忙しさ、師走。そんな話を聞いた事があるのだけれども、年中暇でもあり忙しくもある俺には何だか無縁な話。「掃除をして綺麗にして、すっきり と大晦日を迎えましょう」だなんて、大晦日分の掃除を12回の分割にして、毎月晦日に掃除してしまえば良いのに。それでも止めどなくたまり続ける埃の根 性、掃除の螺旋。塵が積もるから山になる。何年掃除をしなければ良いのだろう。
俺は小さい頃から親父の説教がとても嫌いで、とても好きだった。 何について説教するにも親父の話には何だか筋が通っていて、はっきり言って反論の余地がなく。たとえわずかな隙間を見つけて反論をしようにも、たちまちそ れをまた反論され。 そんな親父が俺に考えを聞く。ここまで言われてお前は一体どう思っているのか。答えは1つ、「おっしゃる通り、返す言葉もございません」それしかないので ある。 それでもへそ曲がりな俺はそれをそのまま言うことにとても屈辱感を覚え、それだけは言ってはなるまいと、俺なりに考えた答えを、しっかりとした文章でもっ て親父にぶつけてやらないと、と、考えれば考える程俺の頭の中は宇宙の様に広がっていき、やがて俺は一体何を考えていたのか、何について怒られていたの か、そんな事すら分からなくなってしまい、気づけば何分も何時間もその場で黙りこくってしまう始末。やっとのことで出した答えも、決して立派なものとは言 えず、俺はいつだって親父の説教がとても嫌いだった。 あれはいつからだったろうか、「一人暮らしを始めると親は子を人として見る様になる」なんていう話をどっかで聞いた事があるのだけれど、例外なく我が家も 少しはそうなったのか、少しは俺も人になれたのか、何度か親父は俺に人生的な話をしてくれ。 どんな人生だったのか、未だに多くの謎に包まれたままの親父ではあるのだけれども、そんな親父が俺に話してくれる人生についての話は何とも俺の心の中に スッと入っていき。元々親父の話し方が上手いのか、理屈まみれな親父の話を小さい頃からひたすらに聞いて来た俺だから理解出来たのか、そんな話をしてくれ た日の夜はいつもよりも空気が美味く、明日から頑張ってみるかな、なんて気持ちで一杯になったもので。 ただ仕事をする為だけに起き、自分のゴールも段々かすれていき、でもこのまま淡々と死んでいくだけの人生にはしたくないと思い、それでは何をすれば良いの か、答えを頭の中だけでシュミレィトしているだけの日々。 そんな自分がいるな、と気づくたび、頭の中に浮かぶのは楽しく話をしている俺の顔と、それを聞いてくれている親父の顔。 また話を聞いてもらいにいこうかな。また、話をしてくれるといいな。